noon75。過去に遺恨があり、正直、接触したくない「ブロガー」だが、極めて不快なるエントリを目に留めたので書く。粛々と自制して・・・。
■ 翻訳と作家に関する雑感
http://icanthelphatingsex.g.hatena.ne.jp/noon75/20061017/p1
エントリは、次の刺激的な一文から始まる。
村上春樹は文芸翻訳家になってからつまらなくなった。
私の村上作品に対する評価は、本エントリに、まったく関係が無いので書かない。私が刺激されたのは、以下の引用部である。
彼は翻訳家として間違いなく優秀であり、そしてだからこそ面白くもなんともないのだが、多くの作家が翻訳をやりたがるわけは別にお金になるからではなく、彼がある種のステータスを求めており、何か文芸翻訳という作業が知的なものであるという誤解を持っているか、あるいはある作品を日本に紹介することによる権力欲から来ているようにしか見えないのだが、それはその作家が翻訳をやる作家的必然というものがまったく見えてこないからである。
「ステータスを求めて」、「知的なものであるという誤解」、「紹介することによる権力欲」と強烈な負の言葉が、決然とnoon75氏のエントリから発せられる。文章の構文がやや複雑であり、一読して読者は、村上春樹に対する個別的言説であると、誤解されるかもしれない。しかし、通常の文脈を辿るならば、このnoon75氏の矛先、すなわち上記引用における太字赤の「彼」とは、「多くの作家」であろう。*1
私は、多くの作家が、あるいはステータスを求めて、あるいは作品紹介する権力欲を動力として、翻訳作業を行っているというnoon75氏の言説に極めて多大なる不快感の湧出を禁じえない。
私が尊敬する詩人であり、「翻訳者」である小笠原豊樹氏。彼は、ステータス、権力欲を希求してレイ・ブラッドベリを翻訳したのだろうか?彼が「作り」出した至高の作品「太陽の黄金の林檎」、「死ぬときはひとりぼっち」は、ブラッドベリに耽溺した結果生まれた成果物であったのではないか?ステータス、権力欲の偶詠ではないと、私は信じる。
最後に。「幼稚な政治を弄する」、あるいは「id:kerodonにはブログの閉鎖を薦める」と書かれる覚悟を抱き、noon75氏に言葉を贈る。
noon75は「真昼からシャセイ日記」に力点を移して*2から、つまらなくなった。
以上。
参考:
■それはそうかもなのだが
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/?of=1
finalvent氏が、上記エントリについて論考を書かれている。本文の最後が、「よ・ん・で・み・そ、これ」から「読んで味噌、これ」に変更されていたり、長い追記があるものの、私が先に述べた「多くの作家」の翻訳については触れておらず、村上春樹に絞った論考であり、私の不快感の緩衝とはならなかった。noon75氏の一般化の危険性を察知した、finalvent氏流のやさしさなのかもね。
追記(20:19頃)
id:finalvent氏へのTBって、idTBしかできないのかな?って思った。誤解かもしれないけれども。