けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 私の思い、他

「ことのは騒動」*1について。私は、下記の2エントリ本文において、松永氏への思いを語った。

http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20070120/1169279571
http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20070121/1169375640

これが、現在の私の思いであり、そうそう思いは変わるものではないと考えているので、私は、しばらく「ことのは騒動」についての言及を避けます。新たに思うところが生じても、直ちに書くということは行わず、咀嚼して考えた上で、書くことにします。*2

なお、本ブログ内において、話が継続している*3場がありますが、そこで語られることは、大いに結構です。ただし、私が不適当だと判断したコメントについては、適宜削除することはご承知おきください。今までのところ、そのような事例が少ないことを読者及びコメント記載者に感謝します。

*1:このような名称は、現時点においてはふさわしくないことは、分っているが、私が今まで使用していたため、それを継承して便宜的にこう記す。

*2:これは、他の人に強制したり、誘導したりすることではありません。あくまでも、私の考えの表明?です。

*3:「継続していない」、既に「終わった」という見方もあるかと思う。

 愛する人の庭に咲く

■黒崎夜話:水たち 2
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/31645020.html

近くにいる人間と遠くにいる人間、そのどちらも感動させることは難しい

「感動させる」というのは、大袈裟であるが、指摘される事項については、しばらく前から、もやもやとではあるが考えていた。そして、今回の騒動で、極めて深いところで痛感し、実感することになった。

私が、ブログ世界に足を踏み入れた最初期に書いたエントリである。

http://keroyan.exblog.jp/1096523/

この中で、THE BLUE HEARTSの「歩く花」から、歌詞を引用している。

今日からは歩く花
根っこが消えて足が生えて
野に咲かず 山に咲かず 愛する人の庭に咲く

この歌詞に対する思いは、当時も現在も変わらない*1。しかし、現在は、殊更に感傷的であり、歌詞が切々と胸に響く。感傷を避けるならば、「まあ、そんなものなんだろうかね」と、軽口を飛ばして、逃げたくなる。

−−−
THE BLUE HEARTSは、「僕たちを縛りつけて、一人ぼっちにさせようとした全ての大人に感謝します。」という言葉から、必死に逃げようとしていたのではないか?この言葉は、「1985」という、当時は幻の曲と称された曲からの一節である。そして、1st.アルバムのキャッチに使われ、彼らを位置づけた。あるいは、逆説的にではあるが、文字通り、彼らを縛りつけた。

彼らが、「言葉」を必死に払拭しようとした形跡がある。すなわち、「1985」という曲は、メジャーデビュー後、封印された。公開される音源としてはもちろん、ライブのセットリストからもである。客席からは、アンコールの声とともに、「1985」の演奏を促す叫びがこだますることもあったが、彼らは決して歌わなかった。

しかし、膨れ上がっていくファンたちは、上記「言葉」にイメージされる彼らを、必死に追いかけ続け、彼らが大人になることを拒絶する。その結果、彼らは、どうなったか?大人になることを許されないまま、「THE BLUE HEARTS」という怪物的名前から逃げ出すことによって、初めて自由を手に入れた。あるいは、手に入れられなかったのか。

−−−
彼我ではあるが、「近くと遠く」を考える一例になると思っている。同時に、言葉を世界にばら撒く、例えば、ブログを書くということに際して、まず肝に銘じておくべき覚悟かな。実名・匿名を問わず。

付記

「1985」には、他にも封印すべきメッセージがあったと思われる。これは、興行的な意味での封印であったと想像するに難くないが、「チェルノブイリ」を歌った後、封印する理由はなくなり、彼ら自身が封印しようとしたのは、やはり本文で述べた言葉だったのではないかと、私は推測している。

<<参考リンク>>
本文中でリンクしたhttp://keroyan.exblog.jp/1096523/へ続いたエントリ。
http://keroyan.exblog.jp/1083056/
http://keroyan.exblog.jp/1086414/

*1:書いた当時、「その捉え方はちがうのではないかな?」というコメントもいただいたのだが。