けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 真面目に自由を考えてみた。

生活状態が酷い。眠気が非常に強かったり、食欲が非常に旺盛であったり、そのいずれもが真逆であったりしている。
原因は、季節の変わり目ということもあると思うが、それ以上に悩みや焦りが強いからであろう
現在の状況。(A)に至るには(B)が必要であるのに、その(B)に至る道筋がいまだ遠い(X=「自由」)の状態にある。
「自由」の状態というのは、文字通り自由なものなのだが、その自由さというものを謳歌できない生真面目が自分にはある。いや生真面目と言うよりかは、踏み出せない焦りであり、上手く歩くことのできないもどかしさである。
「自由」から(A)にのみ至ろうとする。これは近視眼的な一種のパラノイアである。別段「自由」から(AA)を目途として、結果としてよくなればそれでいい。そういう自由な思考が、現在の自由な局面である「自由」下において発生しない。
自由は不自由さの中にあり。
至言である。がんじがらめとは言わないまでも、ある程度に縛り付けられて、有り余る自由とまでは言わないまでも、小さな自由を楽しむ。そんな小さくても心温まる生活こそが、あるべきたる生活だろう。
捨て去りたくなった。

もちろん長明は、有り余る自由をもって生活していたのではないかもしれない。しかし、彼が世を捨て去って後半生を送ったとの理解も可能である。私は、彼の幻影に追われることを強く自戒しなければならないと思った。