読んだ。
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2016/02/05
- メディア: 雑誌
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ときは天正10年。3月11日に武田勝頼が自刃して武田家が滅亡します。その後、武田領は織田信長配下の滝川一益の支配下となりますが、この滝川さんについてはこちら。
けろやん。メモー藤本正行「信長の戦国軍事学」:都を離れること、正面対決をすること。
すなわち天正九年(1581年)ころ、武田氏滅亡の結果、関東の膨大な領土が信長の手に渡った。その経営を任されたのが滝川一益。齢58歳という老齢。
おっと文中に間違いがありました。武田家滅亡は天正9年頃ではなく、先に述べたように10年の3月です。
さて話を続けますね。事実上織田信長の支配下になった武田遺領ですが、その信長は同年の6月2日に本能寺の変で倒れます。さてここからが「関東三国志」の始まりです。
戦う三国の人は、徳川家康、北条氏政、上杉景勝の三名。この状況下において、我らが真田昌幸は苦心惨憺にはっちゃけます!
まずは上杉と手を結びます。この場面は、NHKドラマ「真田丸」で先日(2月7日)放映されていましたね。・・・とネタバレになっちゃいますが、昌幸はこの後、北条と手を結び、つぎに家康と手を結び、つづいて再び上杉と手を結び、とうとう秀吉と手を結ぶことになります。手を取り合って結んで開いてですね。
さて冒頭の雑誌に戻ってみますとこちら。
恐ろしく詳細な年表です。天正10年10月26日の項を引用しましょう。
昌幸、碓氷峠を占領、北条軍の補給路を断つ。北条は進退窮まり、徳川と和睦へ動く。
ねっ!詳細かつ躍動的でしょ。そんなこんなで勉強になる特集でした。