けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 箱根、宗教、懸仏(かけぼとけ)

生活をメモしておこう。

3月12日(木)から3月14(土)まで箱根に行っていた。東京にいるとなんかわさわさと落ち着かなかったから。宿はいつものところ。
けろやん。メモ-やけくそではないから。
基本的に、というか大々的に宿でごろごろしていた。昼飯を食いに湯本に出たくらい。
二泊したので落ち着けた。なにしろ私は規律的な人間であり「宿に着いたら風呂に入り、夕食前に風呂に入り、夕食後に風呂に入り」って風呂の時間まで設定してしまう。
風呂でのんびりどころじゃない。頭の中で風呂と風呂と風呂が渦巻いてしまう。
でも、二泊して真ん中の日がドンっと存在すると規律的な風呂の頭もトンでいく。さすがに丸一日の風呂を考えることはないからね。
今回は集中して読むことができる本を持っていったので、ぺらぺらページをめくりながら充実感に満たされたりした。我ながらちいさな充実感だこと。
気温も春めいていて、天気も小春日和だったので窓辺の椅子を揺らしながら考えごとをした。

窓からは川のせせらぎの音が聞こえる。

気持ちの良い滞在で、東京に急ぎの用事もないので延泊しようとしたら満室でだめ。がっかり。この宿(民宿)って人気(ひとけ)がまったくしないんだけど、どうも最近賑わい始めた感じがする。
温泉はすばらしく、飯も普通以上の味だけどなにしろ古くて汚い。古びて風情じゃなくて古くて汚い。プレハブに毛が生えたような建物だし。でも部屋の中は畳が青々と輝いていて気持ちが良い。あんまり繁盛しないで欲しいな。

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知り合いから宗教は何ぞや?という話を持ち出されて往生した。ひらめきで「宗教とはマザコンでありペテンである」って返した。拠り所を求める寄らば大樹の陰。人の心をだまくらかすペテン。その話をしたのは思えば地下鉄サリン事件の日だった。
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知り合いと仏像の話をした。彼は趣味で仏像を彫っているので、長野の善光寺で観た懸仏の素晴らしさについて話した。
けろやん。メモ-長野に行った(1):迫って来る懸仏、そして落書。
「懸仏は装飾である」とは彼の言。なるほどたしかに装飾的であるよな。こんど鎌倉は長谷寺の懸仏を観に行って装飾を考えてみようと思った。長谷寺のそれはあまり装飾的ではなさそうなんだけど。