けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 郷愁

生まれてから15歳まで住んでいた団地が取り壊されることになりました。とても残念で悲しく思います。その気持ちを胸に、撮影した写真を貼りながら30年前の記憶を掘り起こしていきたいと思います。

すでに敷地内への立ち入りが禁止になっていました。ここを乗り越えて入ったのですが、さっそく子どもの頃を思い出しました。当時はあちこちの塀やフェンスによじ登って遊んでいたものです。でも、いまの私には当時の身軽さはありませんでした。

一番思い出のあるところかな?と思いましたが、とっさにはわかりませんでした。いま書きながら思えば、生まれて初めて登った木があった場所です。

肩寄せ合った滑り台が陽だまりにいました。私が遊んでいた当時は一つだけだった気がします。手前にある方が新しいので私が引っ越してから建てられたのでしょう。
写真の右手に「給水塔」が建っていたのですが無くなっていました。これにはほんとうにがっかりしました。

我ながらいい写真が撮れました。団地の姿が凝縮されています。坂や石垣そして芝生です。とくにこの石垣の石は、いまも見かけないですし当時も団地以外のところでは見かけなかったと思います。

大塚くん兄弟の家です。ということはさておき、ここをバッターボックスにして、毎日のように野球をよくやっていました。その成果があったのか、ソフトボール大会で私たち「富士班」は優勝候補の班をあと一歩で破るところまでいきました。
ちなみに「班」というのは集団登校する単位で、団地では一棟で一班となっていました。いわゆる五人組みたいなことはなかったです。

いま流行りの中核派のアジトみたいですが、これは団地の集会場です。祖父の通夜と式をやりました。住区に遺骸とともにあるというのは信じられない気がしますが、当時は当たり前だったみたいです。

給水塔と並ぶ団地のシンボルです。当時から大袈裟に「森」と呼ばれていましたが、歳を取ったいまの私には本当に小さく感じられました。こういうことはよくありますよね。
ここで夏休みにお化け大会をやったりしました。子どもとはいえさすがに誰も驚いて泣いたりしないので、ちびっ子たちの口にコンニャクを突っ込んで無理やり泣かせていました。私の方もちびっ子でしたね。

「森」にあるベンチです。見覚えがあるような無いような気がしますが、やっぱりありますね。いま写真を見ていたら土から引っこ抜いて持ち帰りたいという気持ちになりました。

私たち家族が住んでいた206号室です。厚化粧を塗ったように綺麗なっていますが、当時は剥き出しのような状態でした。窓枠も汚くそもそもサッシではなかったと思います。

共用階段です。階段の手すりがおそろしいことになっていますね。当時は、これほど酷いことになっていませんでした。でもイメージはこのままです。触ってみたかったのですが、入口が封鎖されていて、残念ながら中に入ることができませんでした。
階段の段々に水染みがありますが、これはよく覚えています。正確に記憶をたどりましょう。まず階段脇のくぼみを伝って流れてくる水の様子を鮮明に思い出し、その連想で水染みを思い出したのです。プルーストのマドレーヌみたいなものでしょうか?

ぶらぶら歩いていたら出くわしました。すっかり忘れていた所です。ここでメンコをよくやっていた記憶があります。というのはいま思いつきで書いたものです。
他の何かしっかりしたことを書こうと記憶をたぐってみたのですが、そうすると胸が苦しくなってきました。とくに深い思い出があった場所ではないと思うのですが。
みなさんも古い写真を手に取り、強く何かを思い出そうとすると同じ気持ちになるかもしれませんよ。