けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 バビロンシステムからの逸脱、そして道中すごろくをもう一回。

昨年は無職のように始まり、実際に無職で終わった。始まりが無職のようにというのはいつものことであり特に感慨はないが、「実際に無職」は初めてのことであり感慨がある。いや、感慨ではなく生活感覚になってきている。
幸いなことに借金はない。奨学金は残っているが、住宅ローンみたいなものは完済している。そしてこれは非常に下卑た見方であろうけれども、妻も子供もいない。居たら大変なことになっていたと思う。そう思うところが私の弱さかもしれない。
無職になる前後、みんなが色々なことを私に言ってくれた。「これは組合問題だ!」とか「こうなったら一人組合だ!」。これあんたのお祭りだろ?私を2ちゃんねるのスレッドにするなよ。そう冷静に思えてきたのも今更ながらだ*1
「資格の勉強をしたりして、まだホワイトカラーにしがみつくのか!」。いや、資格云々の勉強は、頭の体操をするためで、勉強している資格が役に立つと思っていない。
頭の体操。前から暗算とか出来なくなっていた。最後はストレスで言葉すらでてこない奈落に陥穽していた。
「けろは優しいから介護関係の仕事が向いているよ」「そうだ!そうだ!」。これには頷きかけた。しかし、私の座右の銘は「やさしさは弱さの裏返し」。だから前提がおかしいとも思っている*2
さらには「デイトレやれ!」「家を売れ!」「金融関係がいいよ」とかになるともう分からない。金融云々を言った人間は、金融に携わった経験がない。なぜそういう話が口を吐くのか首をかしげていたんだけど、そうか半沢直樹の影響だな。
ほかにも百家争鳴。
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40過ぎにして初めてバビロンシステムから外れた。
良い学校を出て、良い会社に入って、すてきな家族を持ち、そして・・・というのがバビロンシステムだ。私もシステムの構成員として歩んできた。
中学校の3年生から勉強を始めて、高校は進学校に入り、多少の微調整はあったが、調整しなおして有名大学に進学した。中身はないけど名前は有る大学だ。
入った会社が良かったのか判断は難しいけど、面接で一回落ちたのに「もう一回受けさせてください!」と言ったら、言ってはみるものでもう一回やらせてくれ、面接をいくつか経て内定をもらった。
ほかに内定をもらった会社(2社か3社)は、入社した年あるいは翌年にぶっ飛んだ。廃業、会社更生法外資の傘下入り(そして切り捨て)。それを考えると勤めていた会社は良いところだったと思う。
・・・書き連ねて読み返すと未練の塊だな。
良し悪しは問わず、公平に観てバビロンシステムからの逸脱あるいはエクソダス*3
40年間縛られていた(あるいは安泰だった)システムであり、いまは正直、足場のなさで激しく揺れている。そして、その不安は、ときに切迫としたものになり、ときに心地良さが生まれ、確固たる足場が心にない。地に足(心)が着いていない。
私の座右の銘は「地に足を着ける」。しかし、これは生活という根源的なものから無意識に生じた銘かもしれないが、逆にバビロンシステムにおける安寧が故に生み出された銘かもしれない。
根本的に矛盾をはらんでいるので困惑するが、飯を食い排泄する「生活」から生まれたものであると信じたい。座右の銘くらい地に足を着けていたい。
さておき。月並みで恥ずかしいけれども、これを機会に自分がやりたいことをしっかりと見つめなおしたいと思う。やれることではなく、まずはやりたいことから。
人生と称する上っ面な言葉は大嫌いだ。生活という卑近が好きだ。その中の泥濘をかきわけていきたい。
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道中すごろく振り出しに戻る。そんな年の始まりになりました。

*1:その人の意見をないがしろにしているわけではない。

*2:視野には入れたけど。

*3:エクソダスは自発的に出る、逸脱は望まんとしても情況が許さない、という相反的な意味。