けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 北陸道でつかまえて〜その1

記念すべき誕生日に、部屋の片隅で両膝を抱えてうずくまっている*1のは如何なものであろうか?と思い、旅に出た。
といっても、宿所は友人の家であり「旅」っていうのはおこがましいかな?しかし結婚式やらなんやらでスーツを着て動いたり、スーツをガーメントバッグに放り込み抱えるバッグを棄てたくなることもない遠出は久し振り。
友人の彼とは5年ぶりくらいの再会でとりわけ感慨深いことはない、ことはないんだけど。それよりも20年くらい前にバカデカのザックを背負い日本海側をうろうろしていたとき*2に、たいへんお世話になった友人の父に挨拶することが大きな目的。
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(1)東尋坊
とりあえず。投身せん!と思ったわけではないんだけれども、強烈にすっ転んだ。左手中指に激痛が走り「ああ、これで楽器を弾くことも出来なくなってしまうなあ・・・」と思い悩む前に、左胸を強打して「ああ、これで他界してしまうのかなあ・・・」というほどの激痛に襲われた。
東尋坊に投身せずして、東尋坊の上にて、人生という旅の終わりを迎えてしまうのではないのだろうか・・・と悲しくなった。これ、誇張の話ではないよ。
こんな転びかたをしたのは生まれて初めての経験だと思う。強烈な日差し、睡眠不足、そして車酔いというトリプル・コンチェルトが原因だな。

さて東尋坊。前に来たときは「うぉー!すげー」って思ったのだけど、今回はちょっと迫力に欠けていた。二回目だから、というのもあるけれども、たくさんの人々が右往左往していたのも原因かもしれない。
さすれども冬になると深山幽谷、ではなくて寂莫たる景色になってしまうのだろう。嫌な話だけれども、遊覧船のひょうきんなおじさんが「命の電話がそこにあります」って寂しく、そして真面目にアナウンスをしていたのが印象的だった。
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帰宅して近所のスーパーで夕食の買出し。えらく大きく、品ぞろいの多さにびっくり。宿所のすぐそばにあるので、なんの不自由もないだろう。いや東京よりも便利だったぞ!
そんで、楽しく夕餉を囲んでいると、魚をビニール袋にひょいっとぶら下げた近所(?)の人がやってきて、賑わいさらに豊かになった。
うーん、こういうところが地方都市(田舎)の良いところだなあ、と東京生まれ東京育ちの私は強く思ったよ。八ヶ岳の麓に小屋を建てて、キャベツ畑の手入れをするのが私の生活設計なんだけど、こういう田舎(失礼)の生活もとても良いなあ。
でも、その人、私が選んだ焼酎をガブガブと飲みやがって、私も負けずに飲んだらクラクラした。田舎の生活の話を聴いたり、私の身上を話したり楽しかったなあ。
泥のように眠った。
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冒頭の写真。薄汚い人物が、東尋坊たるを汚してしまっているので、全景写真。

他にも良い写真があったのだけど、ピンボケでボロボロだった。携帯電話シャットの限界かな?

*1:昨年は、正直、そんな感じだった。

*2:こういう独りうろうろが私の旅の定義。