近所のブログで、意見をいただいたので、簿記、その他について、言い訳抜きの心境(正確にはその推移)を書いておこう。いや、気を悪くしてカチンとなったのでもなく、コンセンサスを得たいというわけでもなく、私にとってのメモランダムといったところかな?
「不合格だったときの言い訳を求めているのではないか?」について。このことは「一声へのレス」を読んでから、じっくりと考えてみた。その結果、これは断言できるよ。言い訳を求めているのではない、って。
まず、そもそも診断士について勉強しようと考えたのは、キャリアアップとは関係ない、と断言はできないが、主として「解答の出ることをしたい」という理由からだ。
この場合の「答」とは合格ということではなく、知識を頭に入れて(格好よく書けばインプット)、それを元に答を出す(アウトプット)行為だ。合格、不合格という結果ではなく、そのプロセスに対峙したいということ。
・・・話が長くなるので、簿記について書こう。簿記をはじめたきっかけは、他のエントリですでに書いたとおり。簡単に書くと、診断士の理解に繋がるという功利的なことがきっかけ。
そのように、いわば打算的(否定的に用いているわけではない)に簿記に接したわけだが、学習を進めていくうちに、それが含んでいる形態に心惹かれた。
具体的には、学問を離れ(少なくとも3級では*1)、極めて人工的な処理を行う手続きに惹かれた。より身近な点で書いてみるならば、解答及びそれに至る作業が人工的であることが、勉強を開始した頃に心地よく感じたのだ*2。
そして、最近。2級まで受けるか迷っていたのは、一つには2級の通信教育を申し込んでいたから。しかし、これについては来年の夏まで期限があるので、急いでこの11月に2級を受ける必要はなくなった。だから、これはこの年末からの勉強の「楽しみ」にしておくつもりだ。
もう一つ、そして主たる理由は、11月まで時間があるので、2級まで勉強して、この人工的な処理幅を広げたいと考えていた。そして、3級はともかく、2級については合格するとは考えていなかった。いや、合格できるとは考えていないと書くべきだな。
いずれにせよ、2級学習の位置付けは、処理幅の拡大に尽きる。人工世界をより高いところから鳥瞰するイメージだ。
このように、私の中で試験の合格・不合格についての関心は低い。もちろん、この11月の試験に向けてモチベーションを上げていくつもりだ。しかし、学習のプロセスを楽しむことが中心になっていくことと思う。
これが直ちに正しいことだとは思っていない。そして、このような考えは、結局、不合格(すなわち負けること)になることを忌避するための思考的予防線じゃないのか?と思われるかもしれない。しかし、違うと断言するよ。
以上、不合格したときの言い訳ではない所以を書いた。また「甘ちゃん」だな、という言説は勘弁してほしい。その代わり、簿記3級には、プロセスを身に着けて、すなわち当てずっぽうではなく、合格して、勝どきを上げてみせるぞ!