7月16日付日経新聞のコラム「春秋」にホット(熱い)なことが書かれていた。
「このくらいのことは覚悟してたんで/ぜんぜんヘコんでないから」。ロック歌手の忌野清志郎さんが気丈なメッセージをつづっている。喉頭(こうとう)がんを克服して最近はステージにも立っていた清志郎さんだが、腸骨への転移が見つかった。
という清志郎についてのコラム。
2年前には闘病を「新しいブルースを楽しむように」と言ってのけ、こんどはこうしゃれている。「ブルースはまだまだ続いているというわけだ」。病を得たときに、こんな気持ちを抱けるものかと驚く。
筆者の驚きは横に置いておいて、
新しいブルースを楽しむように
ブルースはまだまだ続いているというわけだ
という清志郎の言葉は、切々と私の胸に響く。「ブルース」は、人生を覆い尽くし、影となり光となる。上記の清志郎の文脈では、「光」なのだろうな。
春秋は、正岡子規に話が流れる。
病床にあってもヘコまなかった先人は多い。たとえば正岡子規だ。脊椎(せきつい)カリエスに苦しみながらも世相と身辺に目を凝らし、おもしろい随筆を書き続けた。そしてよく食べた。(略)
子規の食欲の詳細は横に置いておいて、
ただ食いしん坊というだけではない。そこに色濃いのは生への執念だ。精神の強靱(きょうじん)さである。
「生への執念」、「精神の強靭さ」と力強く言葉にされる。これは、とても力づけられる言葉であるな。