さて、前回の続きで、ここから本題。
旅先の人々の空気に溶け込んで、楽しく暮らす寅さん。空気を「吸う」寅さん。しかし、彼はあくまで旅人。カッコ良く書くとマージナル・マンなのである。で、マージナル・マンとはなんぞや?マジなるマンなのか?*1
と、説明すると長くなるので、例えば、次のリンクの最初の一文を読んでみましょう。
探してみると、もっと端的に表現した言葉がありました。
のコメント欄、
「マージナルマン」って、民俗学で「周縁の人々」って意味らしいですね。
定住しないで、いろんな町に「客」として現れて、一瞬だけ盛り上げてそのうちに去るか追い出されるかする。「祭りのじかん」に通じるものがあるのかなあ、と思います。
Posted by ertit at 2007年08月30日 00:05
うーむ、すばらしいコメントだなあ。
そうなのです。寅さんは客として町、というよりも集団に溶け込んで、「祭のじかん」を作り出す。もちろん、自らも「祭の時間」に内包されていく。しかし、これは「ing」に過ぎないのである。内包されてしまう、という常態にはならない。それは、何故なのか?
即物的に答えると、カッコ書きの"失恋"*2に「追い出される」のである。いや、寅さんの場合は、「追い出される」のではない。自律的に、「出て行く」のである。
さあ、ここで"自律"という言葉が出てきましたね。そう、寅さん、空気を「読む」のです。
空気を読む、少なくとも事態を把握する。そして、再びまたたび旅に出る。Exodus。良く言えば、マージナル・マンの本能的「脱出」とも言えるし、悪く言えば「逃避」。まあ、いずれにせよ、寅さんは空気を読み、行動するのでしょう。
さて、まとめてみましょう。
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- 柴又にて:空気を読まず、逆ギレ
- 旅先にて1:空気に溶け込む(あるいは、空気を吸う)
- 旅先にて2:空気を読み、集団からExodusする
こんな感じに寅さんを「読む」のも楽しいかも知れません。
■付記
http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20080114#20080114f2
大部分が、この系統に属すると思うが、他のパターンもある。それについては、後述。
についてですが、
に感想を書いた「不思議島」をアフィリエイト購入してくれた人がいるようで、ありがとうです。で、この小説を彷彿させる寅さんモノである「寅次郎の縁談」が、先に記した「他のパターン」に該当します。柴又逆ギレではないのです。
■参考:
・「寅次郎の縁談」(wikipedia)
・読んでいないけれども→朝日新聞社説:成人の日に―「KY」といわれてもいい