けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 カラマーゾフの兄弟について思うこと

禁酒を続けていたのだけど、仕事関係の宴席で飲まざるを得なかった。「得なかった」のは、乾杯のビールだけだったのだけど、「ザ・禁酒」な私は、「ザ」が無くなる事にしょんぼりしたこともあり、焼酎を少しだけ飲んだ。久しぶりの芋焼酎。美味いような、違和感があるような、複雑な感じ。

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昨日の夜から、「カラマーゾフの兄弟」(新訳)を読み始めた。多分、感想は書かないと思うので、思うところをコレコレと。かつて、北杜夫氏が、青春期の赤裸々な日記?に「ドストエフスキーには会話の妙がある」ということを書いていた。北氏の同書は、繰り返し、繰り返し、ながら読みし、繰り返し読んだ記憶がある。その中で、上記の言葉が印象に残った。

ドストエフスキーには、「会話の妙がある」。この言葉は、同時期に接した「罪と罰」に顕著であり、私はそういう読み方、見方もあろうかね?って思った記憶がある。「罪と罰」。会話云々を外して、私に鮮烈な衝撃?を与えた本である。予備校横の倉庫で10円で上下冊を購入し、フンニャレタ上巻を読み、翌日風邪の関係で、近所の病院の待合室で下巻を読み終えた。で、泣いた。

私は、本を大切にしない人間である。風呂で読んだり、ハナクソを栞代わりにしたり(嘘)するようなやからである。でも、私はその「罪と罰」(上巻は購入時にフニャフニャランしていたが)については、大切に扱っている。

ただの活字の羅列であろうや?と言われても、言われることはないが、羅列を超えたものがあると思っている。本当は、そんなことは無いのだろうけれどもね。

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で、「カラマーゾフ兄弟」である。私は北杜夫「楡家の人々」を読み返したくなった。