長年、頭を悩ます疑問があった。
アルバム、THE TIMERS「ザ・タイマーズ」の最後を飾る曲が、なぜ「Walk don’t run」なのか?*1同アルバムは、「タイマーズのテーマ」に始まり、「タイマーズのテーマ(エンディング)」が歌われる。
なぜ、この「エンディング」に続いて、「Walk don’t run」が挿入されているのか?唐突感が否めない。というか、率直に蛇足だろう。しかし、そこにメッセージ、というよりも彼らの決意表明(大袈裟だけど)があったのかな、と思ってみたりする。
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彼らは、終わらずに「復活 ザ・タイマーズ」へと続いた。そのアルバムの最後で、彼らは次のように歌う。
サヨナラはしない 君だけには
ある日 君が 僕を嫌いでも
サヨナラはしない 別れはしない
ある日 君が 僕を泣かせても
もうすぐ 春が来るよ
がれきの街に 花が芽を吹くさ(略)
サヨナラはしない サヨナラはしない サヨナラはできない・・
この曲をどう考えるか?捨て鉢なストーカー・ラブソングだろうか。これは、違うだろうな。それならば、失恋を振り切り、ぼんやりと春を待ち侘びる心の歌だろうか。私は、そのように考えていた。しかし、そんなにも柔なことを歌ったのではないだろう、と今の私は思う。
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現実世界における知人である「あなた」を「君」に当て嵌めて考えてみる。私は、後ろ髪を引かれながら、「サヨナラはしない」と、ヤケッパチに叫ぶのだろうか?あるいは、私は、心を引き摺る中で、新春がやって来るのを座して待ち続けるのだろうか?
ハードボイルドの主人公たちは、走り出す。そして、彼ら(あるいは彼女ら)は、頭をぶん殴られて昏倒する。しかし、目を覚ました時、彼らは、便となるべき内なる自己規範なり、価値観を思い出し、再び歩き始める。彼らが歩みを止めることはない。
私は、サヨナラができない不自由な世界で、サヨナラを叫んだりしない。そのかわり、がれきの街を歩き続ける。
そうすることで、がれきの隙間から芽吹く花を目撃することができるかもしれない、と思うから。
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私は、そのように「サヨナラはしない」という曲を理解することにした。
サヨナラはしない。
けろやん。拝
*1:現在の再発売版では、ボーナストラックとして2曲が追加されている。