けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 前に進むということについて

■松永英明氏が語らなかったこと

松永氏はかつてあるカルト教団に帰依していた経歴がある。そのこと自体をあげつらう気はないが、松永氏が「正義に基づく暴走」の危うさを糾弾するならかつて自らが邪悪な善魔に魅入られたことを率直に語るべきだと考える。

を引いて、psycho78氏は、次のように語る。

■ハロー!Mr.ドブ川のジャンボタニシ。

【語るべき】だとあるべき論語っちゃってます。で、このジャンボタニシ…「2ちゃんねる型の正義を語るのなら、オウムの話をせえよ」と…いやそれが正論だというのなら。他者の経歴についてあれやこれや言うのであれば、どうかジャンボタニシ自身のドブ川での暮らしっぷりを全て語ってからにしてくれたまえよ。これだよなぁ…自分には到底できゃしねぇことを「やるべきべきべきべき」と人には言いたがる。

私は、玄倉川氏が、どこまで「語るべき」だと考えているかは知らない。しかし、松永氏(id:matsunaga)の友人であるpsycho78氏は、いずれかのレベルに「語るべき」だと考えていないのだろうか。私が、松永氏の友人であるならば、次のことを「語るべき」だと進言する。

何故、松永氏は1995年3月20日以降、長きに渡り教団に所属していたのか。

氏は、かつて自伝的物語で、入信に至る経緯等を書き始めた。しかし、それは青春譜の一節、あるいは冒険譚の一節であり、「語るべき」ことについては、書かれずして筆を折られた。私は、その時点において、松永氏に幻滅を感じると同時に、彼の認識の甘さを感じた。そのことを暗示させる意味で(というよりも自分を納得させるためか)http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20070107/1168158065を書いた。

賛否あると思うが、教団に入信し在籍したことについて糾弾することを「私は」良しとしない。しかし、1995年3月20日の犯罪後、過去の暴虐が明らかになっていく中、如何なる考えに基づき、10年もの長きに渡り、教団に在籍したのか?について「語るべき」であると考える。そのことを語ることなくして、松永氏が言論人として「ことのは」を発することを私は残念に思う。余計なお世話かもしれないが、その核心部を語ることが、「社会復帰」になると私は思っている。

以前にも書いたが、身辺に危険があるなどの理由があれば、すぐには無理だと思う。しかし、真の「社会復帰」を松永氏自身が望んでいるのであれば、語ることで一つの山を越えられると信じている。

なお、乗り越える山を眼前に、立ち尽くしながら、

■2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ

自分たちは正義である――だから何をやっても正しい、逆らう奴が悪い。そんな意識が2ちゃんねらーには見え隠れしている、と私は感じている。

など、「正義」について大言壮語に「語る」ことは、醜悪極まりなく思っている。