けろやん。メモ

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 GM国有化:氷河期に飲み込まれた巨大な恐竜

連邦破産法第11条の適用を申請して、実質アメリカ政府の国有化になったゼネラル・モーターズGM)。その経済的影響については各地で書かれているので、ここでは新聞記事を引用しながら、GMの社会的位置付けを考えてみたい。

まずは、産経新聞09年6月2日付から引用してみよう。

自動車は個人の富と自由の象徴だった。GMはそんな消費者の意識に乗じてキャデラックを頂点にビュイックポンティアック、シボレーなど、所得水準や社会的な地位に応じた重層的なブランドを展開した。
(太字化は引用者、以下同)

日本社会でも自動車が富の象徴であることは同様だろうが、所謂「車社会」の程度は、アメリカの足元にも及ばない。このあたりの事情については、アメリカの小説を紐解き、日本のそれと比較すると分かりやすいかと思う。例えば、ピックアップトラックが表徴するものは何か?とか。*1そして、車がなければ足元を離れられない米国人にとって、車がステータス・シンボルとなることは必然であろう。それを特徴的に実現していたのがGMということである。

その後、上記記事は次のように展開する。1970年代の石油ショックを契機に燃費の良い日本車が人気となったが、GMを含むアメリカのメーカーが、アメリカ政府当局を通じて、日本車の輸出規制を迫った。所謂「日米自動車戦争」であり、私も、日本車をハンマーでぶっ叩く人々を流す映像が懐かしく感じる。

さて、日本車の輸出規制を迫って実現させた後、GM等のビッグ・スリーはどう発展したのだろうか。再び、上記記事から引用してみる。

ビッグスリーは小型車への転換を拒み、燃費が悪い大型車の生産に固執した。労使交渉で上昇を続けて賃金を販売価格に転嫁しても、大型車の方が利益が大きかったからだ。こうした労組との馴れ合いで膨らんだ年金や医療保険など、巨額の「負の遺産」はGMなどの経営を圧迫し(以下略)

GMだけではなく、アメリカの自動車産業全体にいえることだと思うけれども、政府の保護下で生き長らえていたが、時代に取り残されて崩壊してしまった、という構図が見える。

それは、氷河期を乗り越えられず絶滅した巨大な恐竜が、大きな音を立てて地表に倒れこんだようなものだ、と書くとレトリックに過ぎるだろうか?

*1:アメリカの小説で描写される自動車は、しばしば階層の暗喩として使用される。