けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 安寧の揺籃、そは啄木にあらずして

日曜日の日経新聞に掲載されている「日記をのぞく」という連載物が面白い。現在は、石川啄木の「啄木日記」連載されている。その中に、故郷を離れ、北海道を経て、上京した時のくだりがある。

永く地方に退いて居た者が久振りで此大都会の呑吐口に来て、誰しも感ずる様な一種の不安が、直ちに予の心を襲うた。(明治四十一年四月二十八日)

そして、その頃の啄木について、本連載の書き手は次のように評する。

しかし、作品は思うように評価されず、熱情は実を結ばない。生活の困窮、厳しい状況が続く中、上京から二ケ月近くたった六月二十三日の夜のことだった。うっ屈した思いを発散するように短歌を歌い始めた。わずか三日間で一気に詠んだ歌は二百四十六首にも上った。

質より量だったのではなかったらしい。一般的に「名歌」と知られる「東海の小島の磯の白砂に我泣きぬれて蟹と戯る」もこのときに詠まれたという。鬱屈した思いを芸術にぶつける。唾棄されるべき行為かもしれない。

しかし、安寧とした揺籃の中で心魂を揺さぶるモノが誕生するような、軽い現実世界ではないと私は思う。

さて、上記、記事は、

函館にいる家族を呼び寄せることもせず、何とか小説を書こうと悪戦苦闘の日々を送るのだった。

と結ばれている。