けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 起床2.0、他

4:00起床。30分かけて、刺身包丁を研ぐ。職人の朝は大変なのだ。ってなことは、夢か現か幻か。

海外ミステリを読んでいる。私が好きな海外ミステリ作家は、ほとんどが他界してしまっており、たまに「幻の作品が発掘された!」みたいな踊り文句で、「新作」が登場するくらいで、その「新作」っていうのが、また絶頂期の剣先鋭き作品からはほど遠い作品であり、「ふざけんなぁ!FM東京!!」って叫びたくなる代物だから、困ってしまう。

海外ミステリを読んでいる。著者は存命中の方であり、本物の「新作」が続々と公刊、翻訳され、読者である私はゾクゾクしながら読める幸せがある。これが同時代性の喜びであり、Led Zeppelinには立ち会えなかった私は、THE BLUE HEARTSの栄光と挫折に立ち会えた。

そして、web2.0なんていうガキのおもちゃが流行する現在であるが、十年後の若者から「あっ!web2.0が歩いてる!!なんか(´・ω・`)くれた顔してんなw」、「ホントだ!web2.0も人間だもんね、そりゃ歩くさ!!あははは」なんて笑われてしまうのではないか、と恐れている。

私はweb2.0時代に生きていた。だけど、懐疑的だったんだよ!!と無言の抵抗を試みるが、無言は無であり、言葉が伝わることはない。絶無。で、その頃、現在の2.0ウェバーは、さっさと鞍替えして、「web2.0なんて知らないね。今は、web7.0だよな、俺たち」なんて、そ知らぬ顔で闊歩しているかと思いきや、若者への嫉妬は度し難く、SNS辺りの隔離閉鎖環境に引き篭もり、小さな声で、かつてのゲバ棒2.0を懐かしんでいる気がする。

そういう意味合いにおいて、半年前に「現実世界でweb7.0くらいまで逝っちゃってる」と揶揄されたガ島通信士なんかは、天然的に先んじている気がする。

ブログというツールの開放性を存分に生かして、ガ島という名前を世間に売り出して成功した。第二次ガ島通信においては、開放性を放棄して、早々にコメント欄を閉鎖。現在の第三次ガ島通信においては、コメント欄閉鎖はデフォルトであり、彼が散々撃ちまくっていたTB機能も開かれているように偽装して、適宜排除する。さすが、Mr.7.0である。

古い頭の私から見れば、彼のフットワークの軽さには嫉妬を覚える、と同時に確固たる価値観、立ち位置、あるいは裸にされた時に頼ることの出来る志の欠如に憐憫の情を抱かざるを得ない。いや、これはウェブ世界に見える彼の姿であり、現実世界の彼は、1.0として着々と歩んでいる人物なのかも知れない。そして、私にweb2.0へのトラウマが、生まれながらに染み付いてしまっているのかもしれない。

ま、どーでもいいや。以上、寿司屋の丁稚の朝から妄想でした。