けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 きっこについての回顧録

最近、きっこ本(「きっこの日記」)が発売されたり、どこが源かわからないけれども、「情報源として勝谷誠彦さんらがいる」ということをよく見かける。きっこさん関連について、最近では興味を失っていて、追いかけをしていないから状況はよくわからない。*1

しかし、ちょっと懐かしくもあり、過去に関連する話を書いたことを思い出して、今は閉鎖したブログのログを検索してみた。2005年12月30日に記述があったので、再掲してみる。

■テキスト文明
今年は2005年。***5年には、エポックメイキングなことが起こるとよく言われる。1985年は、阪神優勝THE BLUE HEARTS結成以外にも、たしかなんかあったし、1995年は、windows95の発売→パソコンの普及があった。そして2005年。キーワードは、たくさんある。同時代性だから故のキーワードなのかもしれないが、自由民主党の歴史的圧勝、マンション偽造事件による政局の狼煙、個人的には、なによりもブログの普及に伴うテキスト文化の復権。あ、最後は流行に遅い私だからのキーワード。正確には、03年頃が黎明で、04年が普及かな。


テキスト文化。日本人は、言葉(会話)ではともかく、少なくとも文章では、議論が好きな国民性を有していると思った。ブログからブログへのリンク(環)は、無限だ。エントリにコメントをつける→賛同、反論が数限りなく発生する。


そして、ブログでブログというツールの在り様を語る、というメタ文化まで、一足飛びにやってきた。ホームページ時代にホームページ語りが、かくも多く存在したのだろうか?あるいは、マンションブログに代表される、オープンソース・ジャーナリズムの勃興。


ところで、「きっこの日記」のきっこって、*谷**じゃないのかね?


テレビすら見ない若者がいるということが謳われていた。テレビ→ネット(テキスト文化)への移行。好意的に謳われるのではなく、批判的な論調が多い。なぜか?ネット社会という閉鎖空間だからだ。テレビは、同時的に複数人で共有するメディアであるから優れている。お茶の間の神棚。ネットは、個人で読み書きするもの。後者は、そのとおりだ。集団で同じブログを眺めているテンキョウはなかろう。


非常に分りやすい批判材料だ。しかし、「善の研究」という書物を同時的多数で読むことはないだろ?という原初的な書物の置き方が難しい。テレビの衰退&ネットの興隆を批判的に捉えるには、書物が足枷になり、一般化として流布しないのだろうな。あるいは、書物を捨象して強引に持っていくか。その場合、多分、ネットの情報は本当に正しいのか、という論点も神輿になるだろう。


で、なにが言いたいかというと、批判はあれど、みんな文字文化が好きなんじゃないか?ってこと。「映像なんてかったるいじゃん!」という(一部であろうが)パラダイム転換が顕現されたのが2005年なのじゃないかな、って思う。


機会があったら整理したい。


p.s.
1985年は、プラザ合意だ。はてなキーワードはとても便利だね。1945年、1955年、1965年、1975年、、、、うむ、たしかにエポックだ。 

後段は、きっこさんとは関係ないのだけど、読んでいたら懐かしくなり掲載した。昨年の大晦日前日には、こんなことを書いていたのか。weblogの産物。

*1:思えば「ことのは騒動」を知ったのは「きっこ」関連からだったなあ。懐かしい。