けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 "貧乏人"は、ブログを書いている。

finalvent氏への批判というわけではなくて、ブログ世界についての考察。

貧乏人は古典を読めだよ

"貧乏人"という言葉には、お金が無くて貧乏人、お金があっても貧乏人という色があるような気がする。後者は、モクモクとした入道雲を見上げて感動することも無く、野暮な言葉を使えば「視野狭窄で足掻いている」ニュアンスがあり、端的に表現すると"貧乏臭い"ということ。

で、上記引用エントリの"貧乏人"は、どちらの色とニュアンスかというと、

カネがなくても人は豊かに生きられるような気もする。

単純に、「おカネが無くて貧乏人」という物質的な意味のようですね。エントリ自体は、赤面するまでの正論で、批判する人=バカ、になってしまうのだけど、

曇天

昨日コメント欄で指摘されたが、私もなんだかんだとけっこう携帯電話漬けの人だな。しかも自覚がなかった。飯食いながらなにげ携帯握っているし。

携帯電話握り締めて、飯食う人間に「古典を読めだよ」と言われても、なんだかなあ。ここは、finalvent氏への批判というか、みっともねえな、という感想。

−−−
さて、本題。

finalvent氏は「古典を読めだよ」と勧められているが、果たして"貧乏人"は、古典を読んでいるのだろうか?あるいは、氏がアドバイスするように「古典を読もう」という気になっているのだろうか?安価なネットに一日中接続して、ブログを読んで、頭が良くなった気になったり、ブログを書いては、「世界に繋がっている!」*1なんて喜んでいるのじゃないかしらん。

さて、私が"貧乏臭い"と述べた人々は、「古典なんか嫁ない」のではなかろうか?あくせくネットにアクセスしては、「web2.0(死語)のウネリに押し潰されそうで気持ちイイ!」、「ブログはジャーナリズムを越えたのだかんね!」と、プールで水浴びしているイメージがある。

で、私は、世の中を斜に眺めながら、

メディア・イノベーションの衝撃―爆発するパーソナル・コンテンツと溶解する新聞型ビジネス

メディア・イノベーションの衝撃―爆発するパーソナル・コンテンツと溶解する新聞型ビジネス

が、気になっている貧乏人です。

*1:ここで言う世界とは、個々人が見えている小さな世界のこと。