後半は流し読みになった。
- 作者: 小和田哲男
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/05
- メディア: 文庫
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(p.61)滝川一益は、上野一国と信濃の佐久・小県の二郡が与えられ、厩橋城主に任ぜられた。しかも関東管領というポストも与えられ、破格の栄転といってよかった。ところが当の滝川一益は、それらの所領よりも、名物茶器の「珠光小茄子」がほしかったとと述懐しているのである。
これは本能寺の変に対する藤本正行の見立てに近い。明智光秀は滝川一益以上に公家との交流も豊かな風流人である。
けろやん。メモ-藤本正行「信長の戦国軍事学」:都を離れること、正面対決をすること。
天正九年(1581年)ころ、武田氏滅亡の結果、関東の膨大な領土が信長の手に渡った。その経営を任されたのが滝川一益。齢58歳という老齢。(略)明智光秀が西国経営のために送られることがほぼ確定していたという。彼は自らを滝川一益に重ねたのではないか?