けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 白樺三部作:罵倒する一群の人たちがいるんだ(笑) 


だれが逝ったかではなく、なにを言ったかが本質である。という言説がブログ世界で流行っていた頃があった。私は批判的であった。背景があるだろ?きみはステークホルダーじゃないのかね?
でもこれから書くことについては静謐でありたい。とか言って静謐になれない私がいるのだけどね。
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極東ブログ:都議会で女性議員へのセクハラを撲滅するもう一つの方法
私がこれを書いたとしたらどうだろ?だれも見向きもしないだろう。それは私が無名だから。無名じゃないのって辛いなって皮肉じゃなく思うよ。
さて上記エントリでカチンカチンしたのはこの部分。

気が付いた。このエントリじゃないわ。その前にその前のエントリに言及したエントリがあったよ。気づかなかった。てなわけで三部作になっちやったんだね。
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極東ブログ:不倫は市民社会にとって「悪」でもなんでもない
内容については言及しない。
というのは卑怯だから少し書いてみる。私は魅力を感じないんだけど、世間では「美人過ぎる政治家」さんだそうなヤジられた女性。過去の1500麺円強奪事件はどうでもいいと思っている。
しかし、彼女が現在進行形に近い形で不倫をしていて、それが「衆目に晒されて」否定しない状況という、みんなが不倫という形状を共有しているという状況ならば、ヤジられてしかるべきだと思う。
正直、私は現在進行形がわからないので保留。仮にみんなが共有している状況ならばヤジは正当なものだと思う。海外メディアが切り取って右往左往発する話ではないと思う。これを切りとり詐欺な文脈いいます。
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さて、冒頭のエントリ。といっても分かりにくいんだけど「不倫は市民社会」エントリに戻る。私がへんてこなんだな?って思った、というか唾棄したのはつぎの一節。

率直にいうと、私が何を書いても罵倒を投げかけてくる一群の人がいるので、それはそれとして静かな白樺の林の見える特等席に座っていただくとして、

このくだり。これグループメソッドいいます。
「罵倒発する一群」を白樺に座らせる。ひどいじゃないか!という話ではありません。
極めて悪質なのは「私が何を書いても罵倒を投げかけてくる一群の人がいる」という発言、というか文章。
これは逃げ口上です。罵倒を投げかけてくる人たちがいるんだ(´・ω・`)
その心根の深い部分、あるいは浅はかな部分で嘆いている、ふりをする。
すなわち、私を罵倒する人は「一群の人たち」だけなんだ!他の人たちは罵倒なんかしないで真摯なコメントをくれるんだ!そうなんだ!
ということ。自らが安寧の平原にいるということをみんなに宣言しているわけ。ぼくに、わたしに、おれに罵倒言語を投じるのは一群の人たちなんだ。彼らを白樺の林に置いておいておこう!という楽しげな文言は、みんなをシラけさせるばかりだよ。
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涙を拭いて先に進もうよ。