高校野球の話。
朝日新聞の夕刊で「白球の郷をたどって」という連載が続いていた。いろいろな試合を場面に切り取ってお涙話にするっていうよくあるやつ。私は涙が好き。
記事をスクラップするのが面倒なので書いておこう。引用文中の太字化は引用者。
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2013年6月21日付け朝日新聞夕刊。
高校野球では優勝旗の「白河越え」が、よく話題になる。東北の悲願だ。(中略)北海道勢は20世紀中に、夏の大会で決勝まで勝ち上がっていない。それが2004年、駒大苫小牧が頂点へ上り詰めた。
雪がどうしたの?邪魔なら、どければいいさ。ブルドーザーで雪をかき、踏み固めたグラウンドで練習をした。
雪をぶっ壊したってことだね。ここまでは、野球専門学校のありがちなエピソード。次が専門学校なれどもびっくりする話。
ええー!津軽海峡を越えた優勝旗が、なんと戦後初の3連覇にあと一歩だったんだ。これ実現していたら凄かっただろうなあ。というか、PL学園は3連覇していないんだ。ちなみに、PL学園。現在対外禁止処分中で夏の大会には出られません。
PL学園6カ月対外試合禁止!夏アウト!
2年生部員の1年生部員に対する暴力によるもので、同校は夏の高校野球選手権大阪大会に出場できなくなった。[2013年4月9日17時9分]
これを読んだときびっくりした。4月に入学、じゃなくて入部したばかりの1年生に暴行って・・・。と思ったら前の年の事件が対象だったということだった。
けろやん。メモ:春選抜高校野球_岩国勢、とりあえず大物一匹釣り上げたの巻。
145 :名無しさん@恐縮です:2013/03/22(金) 23:24:08.96 ID:2utwTHqv0
>144
いまさらPLはねーだろw野球部なんか活動期間より謹慎期間の方が長くなりそうな勢いじゃねーかw
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話を戻して朝日新聞の連載。
高台にある学校は津波の被害を免れた。福島県立磐城高校。(中略)1971年夏、この地がパレードで沸き立った。磐城が夏の大会で準優勝を果たしたのだ。
40年前の話です。
優勝候補の日大一を1-0で破った瞬間だ。センターフライで試合終了なのだが、捕球したセンターは必死で返球動作に入り、セカンドとショートは中継プレーの態勢を取っている。
「審判がゲームセットと言うまでは終わりではないと教えられていたから」
これ、一読するとすごいことだな!って思うんだけど、ちょっと考えてみると不思議。ランナーが居たのか不明だけど居たと仮定する。2アウトなのでタッチアップはない。中継プレーについては、センターが落球したときの態勢で納得。
不思議なのは「センターが必死に返球動作に入った」というところ。ランナーが居て落球したら同点の場面だったかもしれない。しかし、捕球すれば試合終了。必死に返球動作に入ったら落球の可能性が高まると思う。
さておき。ここからが本題。
準優勝という快挙のほんの4ヶ月前、国内有数だった地元の炭鉱が閉山し、多くの解雇者を出した。全員が地元出身者だった選手の家族も炭鉱関係者が多かった。(中略)(準優勝記念誌に炭鉱幹部が書いた言葉)「逆境の中で新しく再出発しようと努力している炭鉱関係者にとって、どんなに勇気と励ましを与えてくれたかは言い表す言葉を知りません」
言い表す言葉を知りません。重厚な言葉だ。言い表せません、言葉がありません。じゃなく「言い表す言葉を知りません」。
この年(注:翌年1972年)の3月、福島第一原発1号機が営業運転を開始した。
ループして戻ってくるとても上手な文章だな。