日経新聞、春秋(07年4月17日付)が、石川啄木を枕にしていた。
早世した天才歌人、石川啄木は借金の天才でもあった。100年ほど前の4月、すでに妻子を持つ22歳は釧路の新聞社を辞めてあてのない上京を決断した。「現在懐中十二円と若干なり」。友人の宮崎郁雨への無心の手紙にはそう記す。
妻子あり、衰えた老母あり、そして金がない22歳。伊勢正三が歌う「22才の別れ」とは異なる22歳の肖像である。
上京した啄木は、下記で記したように孤独に苛まれる。
しかし、作品は思うように評価されず、熱情は実を結ばない。生活の困窮、厳しい状況
しかし、その空回りした(かのような)熱情は結実する。
上京から二ケ月近くたった六月二十三日の夜のことだった。うっ屈した思いを発散するように短歌を歌い始めた。わずか三日間で一気に詠んだ歌は二百四十六首にも上った。
これを果たして「才能」と片付けて良いのだろうか?あるいは僥倖と。私は、守るべきものがあり、自らは追い詰められた果ての言葉の発露であり、その根底には蓄積された熱情が確固として内在していたからだと思う。そう思わなければ、混沌としている現在世界を歩いていけないと、無意識に願っているからかもしれない。
<参考>
太宰治、宮沢賢治、そして石川啄木について、「東北」という視点から比較考察した書*1として、梅原猛「日本の深層」(集英社文庫)があります。Amazonでは在庫切れのようで・・・と思ったら、在庫ありますね。
- 作者: 梅原猛
- 出版社/メーカー: 集英社
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*1:本題は、「縄文的」を東北に求めた紀行文です。紀行文の体裁でありながら、随所に見られる考察は深く勉強になります。