けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 辞書を廃棄すること。苦痛極まりないこと。

本の廃棄を進めている。
世の中の人々が「積読本」と呼ぶ未読の本が、私については恐ろしく大漁にある*1。理由は、ここで買っておかないと手に入らなくなるだろうという、ある種の貧乏工場の性癖。
もちろん、購入するときは立ち読みなりなんなりして、中身を吟味した上での積読本ではあるけれども、我ながら間抜けなことだと認識している。
図書館を利用するすることが解決策なのだろうけれども、私の近所の図書館は貧弱極まりない。もちろん予約しておけば、他の図書館からの融通でまかなえるとは思うのだけど積読本の半数近くは*2図書館での対応は無理だと思うし、せっかちな私は予約→到着→読むという段階が苦手。
約20年くらい前頃だと思うけれども*3、どこかのお偉いさん(たしか書籍に特化した評論家さん)が「日本の住宅事情を考えると、辞書で不明なる言葉を調べたら辞書を棄ててしまうくらいが良い」と炒っていた。
さすがに頓珍漢な話だと思っていたし(今も当然に思う)、私は「辞書は調べるためのモノではなくヨムものである」という信念がある。
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本の廃棄を進めている。
本棚の2段くらいは廃棄した。しかし、これから先が難しい。廃棄するであろう本を斜めに読み、廃棄するという手続き。これが苦しい。「廃棄するであろう本」を読み進めるということ事態が精神的な苦痛を伴う。
だって廃棄をあるていど目標にしている本たちを読むんだよ。苦痛。
もう嫌だ。

*1:恥ずかしくてその物量は書かない。

*2:正直、どの程度がカバーされるのか?については不明。

*3:いや30年位かもしれない。