けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 フェイスブックを卒業して、ブログについて考えたこと。 

読んだ。

東洋経済ONLINEー「知り合いかも」に知らない人が頻出するワケ
アパート全体で同じネット回線(集合住宅用)を共有しているのなら、同じタイミングでフェイスブックを使えば“同じネット環境”となり、「だったら知り合いじゃないの?」となっている可能性が高いのです。
(太赤字化は引用者)

私は、昨年の2月にフェイスブックを始めたので、ちょうど1年が経過。もうやめようと考えている。それは上記記事を読んですっちゃかめっちゃかなんだなあと思ったからではなく、以下のいくつかの理由が原因。
〜〜〜フェイスブックから転載〜〜〜
就職活動、始めました。

〜〜〜転載以上〜〜〜
これに対して、たくさんの友人が「いいね!」を付けてくれた。これほどの(フェイスブック上の)友人が私の昨今の状況を心配していてくれたんだ、あるいは異常視していたんだということを考えると、下手な更新ができなくなってしまった。先に述べたように、ちょうど1年という良い区切りでもあるしね。
次。
フェイスブックの内向性が嫌になった。更新して「いいね!」(なりコメント)が付いても、所詮は内輪の話。それに対して、ここも含めたブログは一応ながら全世界に発信している。
だから、検索してやってきてくれる人もいるし、他のブロガーさんが引用リンクしてくれたりしたら(私の場合は皆無)、普段ここを読んでいない人たちもやってきてくれる。そして、それらは身元不詳なる匿名の人たちだ。
私は、その匿名の人たちに向かってブログで発信している。しかし、それは私がブログを書いている理由の一つにすぎない。
私にとってブログを書く大きな意味は、本を読んだ感想や時事問題について、自分がそのときに感じたことをメモ的に書いていくということだ。ここで重要なのは「そのときに感じたこと」というところ。
さて、それが理由ならばノートにでも書いておけばいいじゃないか?と思う人もいるだろう。しかし(一応)世界に向けて発信しているブログというフィルターが介在することによって、メモの意味合いが変わってくるのだ。
たとえば、文体をときに応じて変えたり、そしてその文体でエントリを統一したりする作業。それ一つ取り上げてもまったくの個人用ノートと異なる姿勢となる。
そして、読む人にある程度ながらにしても理解してもらうように文章や論旨を整えること(実際にできているかは不明)も必要。
他にもいくつかブログを書いている理由はあるんだけど、それについてはまた別の機会で。そんなこんなでフェイスブックをやめることから、流れ着いた話がブログが云々になりました。