けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 熱かった岩国旋風!(追記あり)

誰も旋風なんて言わなかったし、これからも言わないだろうけど、残暑に冷たきビール片手に読んでみてくれたら、ありがとう。
−−−
甲子園がすごいことになっているみたい。
宇部鴻城「満点」21安打、選手も驚いた
私は山口県発の高校を応援しているのだけど(後述)これにはビックリ(騒動の頃には、けろは山口県出身の京都大学卒業。とファイリングされたけど、ゴメン両方ともちがうんだ。)。
−−−
さて、

作新学院の甲子園出場認める 部員逮捕で大会本部
硬式野球部員(17)が、強盗容疑などで17日に逮捕されたこと。

強盗ってのが凄いな。賛否が分かれるだろうけれども、私は出場続行は寛大な処置でいいと思う。過去には、もっと炸裂したした高校もある。

高校野球 暴力事件 不祥事 問題 リスト
愛知県代表として甲子園出場中に2選手が写真週刊誌に喫煙写真を撮られる

愛知県の(野球の)名門校享栄高校の不祥事。これは甲子園ベンチ入りメンバーが弾けたケース。上記リンク先には書かれていないけれども、実際は喫煙写真を撮られて「フィルムよこせよミャー!」でカメラマンに暴行(とまでいかなかったかな?)したことが大きな問題になった。
その後、享栄高校は数人のベンチ入りメンバーおよびレギュラーメンバー(たしか)がベンチから放り出されて、寒々しいベンチになっていたのが哀愁。このケースで出場続行になったのが不思議だミャー。
−−−
夏の怪談のような話。

球場騒然 "伝説の作戦" で甲子園切符 馬淵監督「感無量ですわ」
“伝説の作戦”が20年ぶりに決行された。明徳義塾が高知の4番・法兼(のりかね)駿遊撃手(3年)に対し、2敬遠を含む5与四球。92年夏の甲子園をほうふつとさせる“4番封じ”

地方大会だからあまり話題になっていないけれども恐ろしい・・・。松井秀喜のときについては、当時の投手(陣)が「あのときを振り返って」みたいな企画インタビューで胸をえぐられていた。
インタビューといえば、敬遠試合後の松井談話。「勝負ですから、作戦ですからしかたがないです」苦渋を噛み締めながらも冷静に応えていたのが印象的だった。このときから、私は松井のファンになった。
−−−
さて、約10年前の山口県
2003年第85回高校野球選手権で事件が始まった。8月16日。山口県立岩国高校vs.広島広陵高校広陵は春の大会の優勝校。岩国高校は県内有数の進学校

2003年第85回高校野球選手権 岩国 vs 広陵
YouTubeの画像を観たら*1広陵高校はセンター選手が二回エラーをしたら早々とベンチに下がり幽閉された。
幽閉はともかく、広陵エース西村はドラフトでジャイアンツに入団。試合は春の大会優勝校の広陵高校を岩国高校が打撃戦を制して勝利。
次。別の試合にての二年生レギュラーの選手が強烈。先輩に「(バットに)当てて来い!」と言われたのを「(身体に)当てて来い!」と誤解したのか真偽不明だけど、とにかく「身体に当たった」。
直球ど真ん中ストレートのボールに身体が飛んだ。私は、彼がホームベース上で悶絶する姿よりも(これも凄かった)、当たった瞬間に放たれたバッドが印象的。判定はもちろん絶対的なストライク。
彼は翌年、ライトから捕手にコンバートされ(すごいコンバートだな)キャプテンにもなり、遺恨試合に臨む(後述)。
次。このときの岩国高校がすごかったのは、予選から甲子園に入ってからも、メンバー不変の9人で戦ったこと。ピッチャー大伴に続くリリーフもなく、たった一人の代打もでなかった。
いや、部員が9人しかいなかったわけではない。控え選手はしっかりとベンチ入りしていて、さらにはスタンドから応援する部員たちの姿もあった。それでも不変不動の9人
1回だけあった。結果的には甲子園最後の試合になった九回表の攻撃。四番ピッチャー大伴がセンターにクリーンヒット(これはすごくかっこよかった)を放って一塁ベース上に立ったとき。彼は素人の私が見てさえ疲れきっていた。で、予選、甲子園を通じて初めての10人目が登場する。代走。
このときのアナウンサーたちの言葉がすごかった。「ピッチャーの大伴くんがベンチに下がりましたね。ほかにピッチャーは入るんでしょうか?」「一応、ピッチャーの控えはいます(当たり前だろ)が、彼は予選も含めて一度も投げていませんよ。大丈夫なんでしょうか?」
さすがに「岩国高校は試合を投げ出してしまったのでしょうか?」という言葉は発せられなかったけれども、心の中で発していたに違いない。
残念なことに試合は九回表、疲れきった岩国高校は力尽きてゲームセット。9回裏の守備はなく「幻のピッチャー」がマウンドに上がることは無かった。二年生の梅本くん。

−−−
遺恨試合が始まった。
出場校最弱と前評判の高かった(?)チームに危なげなく(というか危なかった)勝利した岩国高校。次の相手は、前年の春優勝校広島広陵に続く愛媛済美高校。奇しくも前年、2003年の夏と同じく春優勝校の広島広陵を破ったのと同じ日の試合。8月16日。
第86回全国高校野球選手権大会
何かが起こるだろう!と私も2ちゃんねる「実況中継」住民も思った戦い。結果は0-6で岩国力尽きる。「途中から済美松山商業(堅守で有名)に変わったようだったな・・・」って2ちゃんねるでは寂しく書き込まれていた。
私も試合が終ったときに、0−6ってなんだったんだ?取られた6点、あるいは取れなかった0点てなんだったんだったんだ!と思うほどに良い試合だった。0−6って完敗じゃん。
でも、このときの岩国高校は一打逆転性の外野を抜けようかという打撃も魅せていた。結果としては広陵高校に対峙した奇跡は起こらなかった。
−−−
試合後、チームの大黒柱である大伴選手が一筋に流す涙がとても印象的に残っている。
夏の残像。
(追記:2012年8月26日)
■完全に間違えた記述になっていた:大伴選手が涙を流したのは第85回高校野球選手権の最終試合後。
■とても分かりにくい記述になっていた。
第85大会で、その年の春の優勝校広島広陵高校を破った。試合は8月16日に行われた。
第86大会で、その年の春の優勝校愛媛済美高校に敗れた。試合は8月16日に行われた。

*1:まさか再び観れるとは思わなかった。当時、インターネット闇サイトで一本10,000円で取引されていた