はじめに
本エントリは、
の流れを受けて書いたものです。まず、問いかけ者id:ka48RXaA氏のプロファイリング。
ブログもプライベートモードになってるからわからんよ。
ブログは、id:keroyaning2のことを指すと考えられ、従って、所謂「ことのは騒動」以後、現在の状況に義憤(憂い?)を抱いて登場してきた人物と考えられる。しかし、日本語の乱れが少なく、冷静であることからrequiem7氏ではないだろう。
いずれにせよ、id:ka48RXaA氏が誰だか知らないが、「義憤」を抱いて問いかけてきたこと、そして私自身が、書くことで、私の中で折り合いが着くかもしれないと思い、書くことにした。
正直、私もうんざりしている点で、id:ka48RXaA氏と同じような心境にあるかもしれないということ。なお、ここで書くことは、私自身の言葉であり、スレッド*1の総意ではない。こういうことは、書くのもおこがましいが、念のため。
検証とは何か?
前三項等号については、スレッドの1で、「検証」が終了していた。
200 名前: 朝まで名無しさん 2006/03/13(月) 07:45:59 ID:1p1gkERW
カミングアウト!!
(URL略)
次は、「検証」の残り、”=きっこ”に流れが行くかと思ったら、そうならなかった印象。前三項等号について、ワイドショー風に語られたり、あるいは作為不作為を問わず否定していたブロガーが嘲笑され、そして、BigBang氏のGripBlogへの問いかけが中心の話題になる。この時点で、スレッドはスレチガイになるが、前三項が等号で結ばれた事態は深刻だったと思う。公党のブロガー懇談会への出席、報道機関への参画という付帯事項を勘案すると。この付帯事項が無ければ、スレッドが7まで続くことは無かったと思う。
ことのは史
そして、2006年4月24日に公開された「インタビュー」に端を発して、「ことのは騒動」が始まる。これは、スレッド8以降で語られる。その後、有名ブロガー、ジャーナリストが、意図性の有無は藪の中だが、一般化の言説を次々と「燃料投下」した。私は、この時点で、カチンと来た。とりわけ、週刊アスキーに掲載された歌田氏の編集性*3の高いコラムを中学生と思しき人物が立ち読みしているのを目撃した時。
その後は、松永氏が入院中*4に、「博士騒動」、「ひらがな怪人事件」が起こり、スレッドの話題もその辺りが中心になる。「ひらがな怪人事件」。蓋を開けたら、酷いことをゲリラ的に書いたとは思えない、茶目な奴が出てきた。
しかし、不思議に思うのは、「ひらがな怪人」であったpsycho78氏に対する松永氏の寛容な姿勢。彼は、本当に事態を知らなかったのだろうか?psycho78氏から、入院中の松永氏へid:psycho78の閲覧権が送られたにも関わらず。入院中の無聊に読まなかったのだろうか?これは、書くのは初めてだが、当初から疑問に思っていた。そして、この「ひらがな怪人」事件が無ければ、スレッドも伸びなかっただろう。
そして、退院間近にid:requiem7氏が登場する。当初の彼は、”○氏(オウム信者?)”部分の検証者として登場するが、直ぐにメッキが剥がれ、BigBang氏の属性をブログに書きまくる騒動者に転じる。彼の登場が、混乱に拍車をかけた印象を持つ。
禊は済んだのか?
松永氏が、退院。スレッド18辺りでは、追求派と擁護派が入り乱れてレスを飛ばす展開。そこで感じたのは、松永氏のネットにおける人気ぶり。やはり、ネット世界ではカリスマなのだろう。しかし、それも、スレッド23における次のレスで、大きく変わったと思う。
142 名前: 朝まで名無しさん 2006/11/04(土) 02:40:40 ID:8drHNA3L
>>137
脅してるんじゃなくて、商業登記簿を抜いて、アプロダにアップするだけだよ。
野田敬生もよくやってるじゃん。何ら問題ないよ。
そのかわり、そこに右翼の街宣車が行くかもしれない。行ったとしても
警察に右翼の街宣車の、街宣の差し止めの書類を出せば止まるしね。
社長は色々と大変だけど色々と力も使える物なのよ。
上記レスは、前後の同一IDの発言文脈から考えると、擁護派から発せられたものと思われる。おそらく、BigBang氏はこの件を契機に、そして他の件の資料も合わせて北沢警察署に届け出たのだろう。
話を戻して、私はスレッド18辺りから始まる流れにおいて、「夏の宿題」が遠くに忘れられ、あたかも禊は済んだかのような空気に違和感を抱いた。そして、松永氏が再開した「物語」の執筆。これについても、核心前史とは言えども松永氏の「熱」を感じることは無く、正直、がっかりした記憶がある。これは松永氏の文才の低さに由来するものであったのかもしれないが、「過去の清算」にはほど遠く感じられた。そして、各地で見られる攻撃的なコメント。このブログでも、その幾つかを拾うことは可能だ。
しかし、同時に、退院後に書かれた「絵文録ことのは」の一部エントリには、魅力を感じており、正直、思い乱れた。この頃は、奇麗事かもしれないが、松永氏自身が、自分で語ることにより、他者から認められる状態になれれば、いいのになあ、と思っていた。そして、地に足をつけた生活を送れればと思い、http://d.hatena.ne.jp/kerodon/20061222/1166774587を皮肉ではなく、真摯に書いた。