けろやん。メモ

はじめまして。こんにちは。

 労働者は、ブロガーに学ぶべきである。

id:finalvent氏が、仕事・労働についてのエントリを連投している。

1.会社を辞めるということ
2.おカネと時間

本エントリは2.について。

引用する。

仕事というのは、世の中の少なからずの人が、自己実現とか報酬と思っている。違っているとは言わないが、こっそり言うと違っているというか大間違いだと思う。

finalvent氏語特有の「こっそり言うと」等の過装飾難解さ*1を除き、分り易く翻訳すると、「少なからずの人が思っているが、(それは)大間違いだと思う」。すなわち、彼は、仕事とは「自己実現」でもなく、「報酬」でもないと述べているのである。彼は続ける。

仕事は命ぜられてやるものではない主体的にやるものだ、よって、拘束じゃない、自らが求めたものだ、とか、言う?いや、そこがこの問題の要なのだ。
(中略)
労働とは時間なのだ、と。

ここも翻訳すると、「仕事は主体的にやるものであり拘束なんかじゃないとか言っちゃダメ、労働とは時間なのだ」。以上から導き出されるfinalvent氏の結論は、

仕事とは、自己実現でもなく報酬でもなく、時間なのである。

ということである。

finalvent氏のエントリが読者を魅了する理由の一つはここにある。すなわち、「仕事は主体的な行為であり、自己実現である」という読者の信じたい幻想を破壊し、「仕事とは時間である」と端的に諭す。*2ここで、読者は「おお、finalvent氏がそうおっしゃるなら、そうなのだろうな!」と感銘を受けるのであろう。あるいは、思考停止へ陥穽した信者誕生。

私は考えてみた。「労働とは時間なのだ」。ここだけ読むと人々は同意するだろう。はい、私も否定しません。だが、その前段として、自己実現ではなく、報酬でもないと述べていることを忘れてはいけない。自己実現云々は、各人の志という主観的な要素が混入することであり、誰もが、是非を問えない事項である。

しかし、生臭い俗人の考えで申し訳ないが、労働の対価として報酬(金)が、中間的に存在することは事実である。その中間項をバッサリ捨象したのが、「労働は時間」であるという魅力的なテーゼ。単純化の妙である*3。ここで、万国の労働者諸君は、声を上げなければならない。

労働者:自己実現はともかく、報酬はくれ!!飯を食いたいんだよ!

さて、労働には報酬が介在するから、話が難しくなる。そこで、労働を「ブログを書く行為」に置き換えたら、少しはわかりやすくなるかもしれない。例えば、ブログを書く行為は、自己実現でもなく報酬でもなく、時間なのだ、と仮定する*4自己実現については、先に述べたように主観的な尺度であるが、少なくとも報酬を捨象する単純化は、労働について述べるより正当性があろうかと考える。ここで、熱烈なブログの書き手は声を上げなければならない。

ブロガー:報酬はいらない!!自己実現なんだよ!


なお、私は蛇足だと考える後段の「演説」部分、

クラスが違うのである。で、社会主義革命にとって最大の敵はman_Bだということをスターリンはよく知っていたので、独裁的にそれを絶滅させようとした。毛沢東はそこで倒錯してむちゃなクラス継承を行おうとした。大間違いである。こいつらマルクスの基礎にあるヘーゲルがわかってねーのな(歴史精神というもの)。

この部分の理解には、finalvent氏の薦める

カール・マルクス (光文社文庫)

カール・マルクス (光文社文庫)

も良いが、手始めに小説で取っ付きたい方には、

ららら科學の子

ららら科學の子

がお勧めです。

いずれにせよfinalvent氏の労働観は、人間を「ホモ・エコノミクス(経済人)」と捉えているのだろうなあ、と秋空を見上げて思った。長くなったので、これについては、またいつか。

(本稿以上)

*1:そこが彼の魅力ではあり、翻訳ほど野暮なことはないだろうが。

*2:あ、ここでの端的化?単純化finalvent氏のオリジナルではなく、古典派経済学、マルクス経済学、いずれの経済学説においても、根底となっている考え方の一つ。

*3:コピーライターの方々は、参考にするといいね。

*4:個人的尺度については、主観的であり、仮定としたが、私個人は「ブログライトは時間である」。